日本人ライダーにとって、シーズン唯一の母国グランプリである日本GPが、9月26日から28日にかけて、栃木県のモビリティリゾートもてぎで行われた。
日本GPでは、MotoGPクラスの決勝レースでマルク・マルケスが2位を獲得し、最高峰クラスとしては7度目、通算9度目(125cc×1、Moto2×1、MotoGP×7)のチャンピオンに輝いた。
2020年、MotoGPクラスの初戦となったスペインGPの決勝レースで転倒を喫し、右上腕骨を骨折したところからマルケスの苦難が始まった。2019年を最後に遠のいたタイトルを、ドゥカティに移籍して2年目の2025年に手にしたのだった。
今年の日本GPの観客動員数は、週末通算で約9万人と発表されている。2024年は通算約8万人なので、1万人ほど増加したことになる。
小椋藍にとっても、MotoGPライダーとして迎えた初めての母国グランプリだった。もてぎでは、とても多くのファンが小椋藍グッズを身に着けていた。
小椋藍は右手の状態悪化により決勝レースを欠場
前戦サンマリノGP決勝レースの転倒で右手の甲2か所にひびが入った状態で、小椋藍(トラックハウス・MotoGP・チーム)は日本GPの週末を迎えた。
それでも、小椋はいつものように走行を重ねるごとに前進を見せた。母国グランプリであり、今年に入って3、4回はもてぎを走ってきたとはいっても、それはMotoGPマシンでもなければタイヤも違う。MotoGPマシンでのもてぎの走行、という意味では、小椋は他のサーキットと同じように適応から始めることになる。
金曜日午後のプラクティスでは14番手。けれど、翌日のQ1ではQ2進出に迫る3番手タイムを記録した。Q1の終盤のアタックでは、自己ベストタイムを更新する勢いだったが、コース後半のセクターで転倒が発生し、黄旗が提示。黄旗が振られている間にこの区間を通過したため、小椋の該当ラップタイムは無効となったのだ。とはいえ、金曜日から土曜日にかけて、小椋がパフォーマンスを上げていることは確かだった。
スプリントレースでは13番手からスタートし、9位でゴール。ここでもいつものように、順位を上げてフィニッシュした。タイヤマネジメントを得意とする小椋の強みはMotoGPクラスでも健在で、転倒リタイアを除けば、スプリントレースでも決勝レースでもスタートポジションから順位を下げてゴールしたのは、数えるほどしかない。
小椋は土曜日を振り返り、「いいレースになったと思います。(右手の痛みは)レース中盤に一度落ち着いてしまうあたりで……。でも、最初と最後は大丈夫でした」と語っていた。
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(トップ画像©Trackhouse Racing)
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MotoGP日本人ライダーの戦い【第17戦日本GP】小椋藍、右手の負傷とともに挑むも決勝欠場
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2025年10月1日掲載(「モーターファンバイクス」掲載ページでは、記事全文&全6枚の写真がご覧いただけます)
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